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医療的ケア児の母にも産後ケアをー『産後セルフケアアドバイザー』インタビュー⑥

2021年5月20日更新


こんにちは!養成事業部の長野奈美です。


2021年新規開講した「マドレボニータ養成スクール」

前期3か月間のプログラムを修了された

『産後セルフケアアドバイザー』のみなさまの

リレーインタビューをお届けしております!




今回は神戸市在住の田代亜沙美さん(たもちゃん)のご紹介です。


産後5年間の専業主婦を経て、

現在は八百屋さんでお仕事をされています。

出産後は、お子さんが先天性心疾患があることで

入退院を繰り返し、手術も何度も経験。


元医療的ケア児の母として、

産後ケアには特別な思い入れがあります。


(左から、たもちゃん&インタビュアーの長野)



▶︎医療的ケア児の母のケアは誰がしてくれるの??


―マドレボニータの養成スクールで学びたいと思ったのはなぜですか?


子どもが生まれてからの1年間は、

入退院を繰り返していて、

のべ半年間ぐらい入院をしていました。


その後、在宅酸素や夜間の人工呼吸器を使用しながら

在宅看護へ移行したものの、

病院に、リハビリに、

子どものために何か出来ることはないか…と必死で。


感染症にも気をつけなくてはいけなくて、

子育て支援センターにも行けなかった。


当時のことを思い返すと、

自分の感情に蓋をして、

とにかく子育てに必死な毎日でした。

そのせいか、産後うつになった経験も。


ようやく自分のために時間が使えるようになったのは、

産後2年ぐらいしたのち。


医療的ケア児の母も利用できる

「産後ケアバトン制度」があるということを知りました。


すぐに申し込みをして、子どもが3歳になる1ヶ月前、

この制度を使うことができるぎりぎりのタイミングで

自分のためのケアを受けることができました

(医療的ケア児の母は、お子さんが3歳の誕生日を迎えるまでは

 無料で産後ケア教室を受講することができます)。


そうしてレッスンを受けたことで

「同じような境遇の女性にも

 自分を大切にする時間を届けたい」

と思いました。


子どものケアはいろんな人がしてくれる。

でも「私のケアは誰がしてくれるの?」と

正直思っていました。


例えば、入院中の付き添いの母親の食事は

自分で調達するしかない。

毎食コンビニで買うとか。


ちょっとトイレに行きたいと思っても、

子どもが泣き叫ぶと側から離れられず、

我慢するしかない。

結局、自分のことは我慢するしかないんです。


その後、産後ケア教室を受講してみて、

「自分の機嫌は自分でとれるし、自分にも家族にとっても大切なもの」

と実感しました。

そして心から、みんなに体験してほしいと思いました。


産後セルフケアインストラクターになりたいな、

と思う気持ちもありましたが、

ちょうど渡米するタイミングでかないませんでした。


今回帰国するタイミングで、養成スクールの募集を知り、

迷わず申し込みました。



▶︎誰の意見も尊重される空気感


―スクールを受講してみていかがでしたか?


自分の考え方、価値観、意見を

ほかのスクール生と話し合う機会を持てたことが

一番刺激的でした。


アクティブラーニングってこういうことやな、

って思いました。


アメリカの教育も似ているところがあって、

アメリカの人は自分の考え方を主張するけど、

「あなたはそうなんだ」と違う考え方を

許容してくれるという空気感があります。


スクールの空気感も同じで、

自分の意見は求められるけど、

ほかの人の意見も尊重されるところがすごくよくて

「新しい!」と思いました。


いろんな角度から物事を見れるようになるし、

とても刺激になりました。



―スクール受講を通してよかったことは?


私自身、自分の意見を

人前で話すことには苦手意識があります。


ですので、

「人前に立つインストラクターは無理かな?」と思っていましたが、

「訓練すれば誰でもできること」だと実感することができました。


自分が発表したときに、

「言葉に魂がある」「経験したことを大事にされている」と

みなさんから褒めてもらえたことがあり、

客観的に自分の強みや個性を知ることができました。


もちろんコンプレックスも沢山あるけど、

それも含めて自分でいいんだと認めてもらえた。

それが大きな自信になっています。



▶︎医療的ケア児や病児の母をエンパワーできる存在に


―今後の活動や、やってみたいことについて教えてください。


今回の受講は

「自分にしかできないことはなんだろう? 

 自分が本当にやりたいことはなんだろう?」

と考える機会になりました。


その中で、私の人生理念を

「多様性のある世の中にするために出来ることをしよう」

としました。


子どもが2歳になった頃、

東京で保育園に預けて働きたいと思ったんです。


ですが、酸素ボンベを使っていた息子は

「前例がありません」の一言で、

話を聞いてもらうことも出来ませんでした。


本当に悔しくて仕方がなかったです。

当時「ダイバーシティ東京」を打ち出している時期だったのに、

「何がダイバーシティやねん」と。

3年前から少しずつ改善されてきているとは思うのですが…。


障がいや病気がある子を産むと、

普通の子育てに、+αのことや

看護的な要素や教育を受けるためにスムーズにいかないこともあるので、

子育てはとてもハードだと思います。


情報交換をしたいけど、

似たような境遇の人が近くに居ない。


子育てや看護のこと、

辛いことも話せる仲間をつくれる仕組みを

つくりたいと思いました。


どんな子どもを産んでも

安心して子育てができるようにしたい。


そんな世の中にしていくためにも、

母をエンパワーできる存在になりたいです。


アメリカに行ってみて初めて、

日本で当たり前に使えた制度や仕組みは、

過去の人たちがつくりあげてきたものなんだ、

ということにも気づけました。


当事者が行動して

権利を勝ち取ってきたという

歴史があるのだと気づかされました。


何かを変えたいと思ったら

自分から行動したり、

発信していこう。


何も動かなければ、

現状を容認していることになるのかもしれないな、

と考えるようになりました。



今企画しているのは、

スペシャルニーズママのための「産後ケアサロン」です。


ストレッチをした後に

対話のワークをする構成です。


ストレッチをして体がほぐれると

心までほぐれるのは、

私自身が体験して「本当にそう!」と思ったからこそ。


自分自身の時間をつくることに

罪悪感を持つ病児の母は多いと思います。

私自身もそうだったから。


でも、自分の時間はちゃんとつくって、

自分の機嫌は自分で取れると

体感してもらえたらなと思っています。



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★リレーインタビューはこちらから★


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